たの子の旅の話

アジアの国々を旅していると、アクシデントやトラブルにしばしば見舞われる。盗難にあう。バスや列車が予定通り出発せず、また大幅に遅れる。バイクタクシーの運ちゃんと料金をめぐって喧嘩する。屋台や安食堂の料理に当たって激しい下痢に苦しめられる。安宿の汚いベッドでダニや南京虫と夜通し格闘する。内容はたいていショボイものだが、とにかく、言葉の問題、生活習慣や文化、食べ物、気候などの違いから、いろいろ面倒なことに巻き込まれやすいのである。

しかし、そうした予期せぬ出来事が、一方で旅に彩を添えてくれるのも事実であって、淡々と何事もなくつつがなく計画通りに無事に終わる旅は、もちろんそれにこしたことはないのだが、案外つまらなかったりするものだ。その時はもう最低最悪、怒髪天を突くがごとく怒りに燃えたぎったとしても、後々ふり返ればけっこう楽しく、よほど色鮮やかにくっきりと記憶に残っていることが多い。もちろん人によっては、いま思い返してもはらわたが煮えくり返るというような出来事もあるだろうが。

それは本当に突然、訪れた。急転直下、いきなり、やぶから棒に、やってきた。そしてそれは現在に至るまで、僕の旅の中で最も怖ろしく危険な体験であった。

その日、僕はパキスタン西部の都市クエッタからイラン国境に向かう夜行バスに乗っていた。夕方4時出発予定のバスは、それが当初からのスケジュールだったように5時になってノロノロと動き出した。新しくはないものの、エアコンを装備したパキスタンではハイクラスといっていいバスに、僕はけっこう満足していた。満席の車内は大半が現地の人たちで、明らかに外国人旅行者とみられるのは、ほかにポーランドの若い男女3人だけだった。

同じゲストハウスに泊まっていたそのポーランド人らは、休暇での旅行を終えて帰国するのだと話していた。かつて僕はポーランドを少し旅し、アウシュヴィッツ強制収容所などを見学したことがあったので、この機会に若いものどうしぜひ歴史問題について深くて難しい意義ある意見交換などをしてみようとはまったく思わず、パキスタンは酒がないのがけしからんなどというどうでもいい会話をしただけだった。

たの子
ライター
1969年京都生まれ、宮崎育ち。男。
学生時代からアジアを中心に海外をブラブラし、
人生もブラついたままとりあえず酒を飲む毎日。

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