たの子の旅の話

それにしても、右の前頭部がズキズキする。事故のことばかりに気を取られていたが、けっこうな痛みである。そっと手で触れると、少し生温かいようなじんわりとした感触がした。手のひらを見ると血がベットリとついていた。それは真っ赤というよりも、もっと黒っぽい濃い赤色をしていた。一瞬、気が遠くなる。あああああ、血だ。血が出ている。しかもこんなに大量の血を見るのは初めてで、にわかに不安がこみ上げてきた。意識はしっかりしているし体も動くが、じつは思った以上に重症なのではないのか。重い後遺症が生じるかもしれない。まさか下半身不随とか……。恐怖心が全身を駆けめぐる。

そういえば右肩も鈍痛がする。ズン、ズンとした重い痛みだ。黒いTシャツを着ているのでよくわからなかったが、やはり出血しているようである。布地がじっとりと濡れている。左手で恐るおそる袖口をそーっとめくり上げると、うぎゃあああ、その右肩はパックリと割れていた。肉がえぐれ、骨らしきものも見える。これじゃ痛いのも当たり前である。ますます気分が滅入る。と同時に、薄いピンク色をした自身の肉を見ながら、人間の肉というのは案外ときれいなものだなと感心するのだった。

夜空には大小無数の星が輝いている。暗闇に包まれて無限に広がる砂漠に寝転がり、ぼんやりと天を見つめる。濃紺のキャンバスはどこまでも果てしなく伸び、そこにガラスを割ってぶちまけたように、星がキラキラときらめいている。それらは手が届きそうなくらい近くに感じられるれ、惨事のただ中に放り込まれていながら、僕はどこか幻想の世界をふわふわとただよっているような不思議な心地がした。

日本を出て8カ月が経とうとしていた。目を閉じると、これまで歩き回り、バスに乗り、列車に揺られ、飲み、食らい、ウンコをたれ、笑い、怒り、あきれ果て、そうやってフラフラとさまよってきた国や土地、人々の顔、景色などがよみがえってきた。

フィリピンのボラカイ島はすばらしかった。遠浅のビーチはずっと沖までエメラルドグリーンに透きとおり、それまで見た海でもっとも美しかった。南国の陽光はギラギラとまぶしく、紫外線が容赦なく肌に突き刺す。そんな中を、海水パンツ一丁の僕は砂浜に寝そべり、暑くなるとパシャパシャと水浴びをし、喉が渇けばサンミゲルビールをグビグビと流し込み、いい気になって遊んでいた。その帰結として、全身ヤケド状態になった。その後は蒸しむしとうだるような酷暑のフィリピンで、ずっと長袖のシャツを着て過ごさねばならず、薬局で手に入れた怪しげな軟膏を塗り続け、まともにシャワーも浴びられず、まことに不本意な旅だった。

たの子
ライター
1969年京都生まれ、宮崎育ち。男。
学生時代からアジアを中心に海外をブラブラし、
人生もブラついたままとりあえず酒を飲む毎日。

Home