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旅人文化振興会メンバーのトシリンの海外協力隊時代(’86〜’88)の中米の旅です。
この旅行記風文章は、トシリンが商社員として台湾・中国など頻繁に出張生活を繰り返していた頃 海外での活躍を目指しはじめていた同僚の社員にあてて書いたものです。

世界が君を待っている

第一夜 最終日「グアナファト」

Guanajuato(グアナファト)は細長い谷がそのまま町になったところです。かなり 古い町でしかも新しい建物が全然無いので、もうバスを降りるとそのまま中世にタイムスリップ したような感じがします。しかもかなり妖しい。

グアダラハラを昼過ぎにバスで出たんですが、これが「エル ノルテ」で兄妹がアメリカに 向かう時に乗ってたようなおんぼろバスで、それがメチャクチャ暑い荒れ地を突っ切って、 小さな町を一つ一つまわって行くのですよ。次の町なんか存在しないんじゃないかと思える ほど荒れ果てた土地を、けだるく暑い午後にバスに揺られて走ってると、このまま世界の果て のようなこの土地に閉じ込められちゃうんじゃないか、出口のない旅に迷い込んじゃった んじゃないかと、かなりサブい恐怖にかられます。これホント、知らない土地を一人で旅する のは結構恐い事もあるのよ。とくに旅行ガイドにも無いような所に行く時は。

それで夕方やっと辿り着いたのが、妖しの町グアナファトなのです。

グアナファトバスターミナル

もう遅いのでさっそくホテルさがしです。 普通のツアー旅行者と違い、いつも行き当たりばったりですから当然ホテルの予約なんてしてません。 あの日は結構探しました、だってホテルらしい建物がどれかわかんないし、およそ目立つ看板 の無い町で、大きそうな建物に近づいて入り口にホテルって書いてないか探す訳です。

それなら「人に聞けよ!」と思ってるでしょ。 そう聞けばいいんですよね聞けば。自分自身でナゾなのですが、一体自分は気が強いのか弱いのか、 不精なのかマメなのか訳分かりませんが、 ようしないのよね人に聞くの。多分めんどくさいだけだと思うけど、かと言って下調べも していかない。しょうもないねこいつは。

で、このしょうもない性格のツケを払いつつ、うろうろ探してやっと探し当てたのが、石造り の4―5階建てのホテルでこれがまた妖しい。中が吹き抜けになっていて、吹き抜けの周りを 各階回廊になっているのです。薄暗いオレンジ色の灯かりに照らされた大理石の内装は病院 みたいだし、ほとんど泊まり客がいないみたいで、ロビーも回廊も人影が見えないのでした。

部屋にさっさと荷物を放り込んで、食事を兼ねて町の探検です。オレンジ色の街灯と青い 薄暗がり、それと石造りの町と石畳、タンゴが流れてきそうな夜の町をにぎやかそうなほうへ と歩いていきます。

グアナファトアロンディガ

この町の妖しさで、もっとも有名なのは後でお話するミイラ博物館が有る のですが、もうひとつ地下を走る道路が有ります。これは昔、谷を縦に突っ切る地下水道が あってそれを道路に利用しているのです。

元々狭い路地が絡み合った石造りの町なので、 車が行き交う道路など作りようが無いので利用したのだと思います。とにかく地下水道の跡が 道路になっていてそれが、掘割のように現れたり、地上に出てきたり潜ったりしながら町を 縦断していてバスの路線もここを通っているのです。

グアナファトの谷

この道も古い石組みで出来ていて、もう谷全体が石造りのラベリンス。 カリオストロの城も真っ青です。 うろうろした挙げ句やっと町の中心のソカロを探し当てますが、これがすごく小さい、どこぞの児童公園 ほどの大きさしかない広場でその周りにこじんまりと商店が肩を寄せ合ってます。

グアナファト口づけの小道

そこの「タベルナ」(タバーン(飯屋))でビールとピザを一人侘びしく食べましたが、侘びしかった なー、この町の人は、そーっと息を潜めて暮らしている雰囲気があるのです。で「この侘しさが すごいぞっ!」って興奮してました。

さて、一夜明けるとこの町一番の妖しいスポット、ミイラ博物館です。 ミイラとは言っても、実はこの辺はからからに乾いた土地で人が死んで埋葬しても腐らずに だんだん干からびて行ってやがて干物みたいな天然ミイラが出来上がる訳ですよ。

グアナファトミイラ博物館

それを掘り出して、ガラスケースに陳列すると言う超お手軽な博物館なのです。 なんでも古い墓地を整理した時に出て来たとか書いて有りましたが、 続々新人さんが登場しそうでネタには困らんだろうなと思います。

このただの人間の干物がなんで見る価値が有るかと言うと、 人は死んだ時は大体無表情になるんだそうですが、埋めて干からびてくると死んだ瞬間の表情に戻るのです。 色々いらっしゃいましたよ、癌とかで死んだ人は苦悶の表情がありありと出ていて、 しかも内臓とかは乾き切っちゃっているのですが、癌細胞だけは黒い固まりで残っていたり。

その他首吊りで死刑になった人は舌がベロンと出てたり。ピストルで撃たれて死んだ人や、 おなかに赤ちゃんがいて死んじゃった人など、いろんな死の標本棚なのです。僕が行った時は 拡張工事中で50−60体しか陳列してなかったけど、200−300体はあるらしいです。

これは気味悪かった。 これを見世物にしようと言うのはどうゆう精神なのかね。 それでも、レイ・ブラッドベリの小説に出ていて、その妖しさにいつか行ってみてみたいと思っていた ものを見れた達成感は気持ちがいいですよー。これは止められない。

ティカルのピラミッドに行った時もそうだったし、モスクワの赤の広場で、 ケーキのお飾りみたいな教会を見た時もそうだし、KGB本部前のジェルジンスキー広場 に立った時もそうでした。

本の中や、学校の授業で出てきた場所にホントに立った時の、 こういう事だったのかと納得する時の嬉しさといったら、絵画なんかでもそうじゃない。 本で見てきれいだと思うのと、一度本物を見た後で本なんかを見た時のイメージって全然違うじゃない。 やっぱりホンモノを見て、聴いて、触って、行って、初めて分かる事って有るわね。

と言う事で、最初の旅グアテマラ・メキシコ編は終了です。

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