青年海外協力隊員として、80年代の後半に中米へ赴任した 「世界が君を待っている」の旅行記でおなじみのトシリン。 彼の旅のきっかけから、憧れの協力隊への道のり、そして旅へと続くお話の新連載です。

旅の初めはカリブから

ジャングルをカリブまで、そして麗しの港町「リモン」へ


旅をして初めて見る景色と言うのはすごく珍しくてウキウキする時と、見た事無い筈なのに何故か既視感があって郷愁を覚える場合がありますが、この時熱帯のバナナ畑を走り抜けながら通り過ぎた街々は夕暮れて行く空とオレンジ色に輝く街灯は、昔そこで暮らした事がある様な懐かしさがありました。 

街灯に浮び上がる酔っ払いの人影や家々の窓から見える団欒は、明らかに初めての風景なのに「ありゃ、この感じは知っているぞ」とどっかで見た事あると感じるのです。 世界のいろんな場所でそんな風景に何度も出会いますが、結局人間なんてどこ行ってもそう変わらない生活を続けているんだなと安心します。

ところが、ひるがえってその懐かしい生活が息づいている筈の日本に肝心なその風景がどこにも見つからないのです。いやまだ自分の知らない田舎に行けばあるのかも知れませんが、いま自分を取り巻く世界には見当たらないんだよね。 だから、あの街々の景色はかつて日本にもあった今は無いものに対する懐かしさと喪失感なんでしょう。 その後世界を多少なりとも渡り歩き、何度もこんな感じを体験しましたが段々そこらじゅうが今の日本とあまり変わらなくなって来ている気がするのは気のせいなのでしょうか。。。

ま、その時はそんな感傷的なこと考えてませんでしたけどね。やがて列車は海にぶつかります。車で行けば太平洋岸から首都サンホセまで2時間、サンホセからカリブ海岸まで3時間、わずか5時間で太平洋からカリブ海まで行けちゃうから、意外なほどあっけなくカリブ海を見ることが出来るのです。特に山を降りてからは、線路も電気機関車も整備されているから3倍ぐらいのスピードが出ます。 やがて到着する終点がPuerto Limon。その名も「レモン港」。ここはコスタリカでもかなり特殊な町です。

その昔、コスタリカのカリブ海岸にバナナの大農園を作ったアメリカ資本がジャマイカ辺りから連れて来た黒人奴隷の子孫が沢山住んで居る町で、ほとんど純粋な黒人の街です。ここのカーニバルは凄いです。ま、それはまた別の話。 この街は今でもバナナの輸出の為の積み出し港として機能しています。

夜着いて、ぶらぶら歩きながら宿さがし、何も決めずに行くと言うのは怖いけど楽しいですね。「泊まるとこなかったらどうしよー。」とかドキドキしながら探して、大抵は見つかりますが、あてずっぽうで決めるのは楽しい。 

この時も適当にどこか海のそばのホテルに部屋あるか聞いてあったから決めたと言う感じで、チェックインそして近くのカンティーナ(赤ちょうちんみたいな感じ、ちっさい飲み屋さん)でご飯兼お酒で寝てしまいました。お部屋では3人で雑魚寝ですね。女の子も居るけど、旅をしてると女の子だけど女の子でない感じで一緒に旅も出来るのです。(私が色気づいて無かっただけかも知れませんが。)


翌朝起きた時はちょっと驚きました。 夜は海のそばだなと言うのは分かって居ましたが、起きてみるとそこは沖に向かって真っすぐ伸びる桟橋の脇の堤防の上に建てられたホテルと言うほどでもない2階建てのやどやで、朝、窓にさがる薄いペラペラの白いカーテンを通して日の光が入って来て、窓を開けると海の風が気持ち良いサイコーの場所でした。

窓から顔を出せば下はカリブの海で、1階の食堂と言うかレストランと言うかカフェは海を見ながらゴロゴロ出来るし多分気持の良さならサイコーのホテルでした。波音がザザーン、ザザーンと低くBGMを奏で、窓からは海風が軽くカーテンをフワフワ煽って、天井ではでかい扇風機がゆっくり回っている。天国ですね。

旅なのでいくら気持ち良くても先に進まねばなりません、リモンで1日過ごして次は、Puerto Viejoそしてパナマ国境です。

茂みからラスタ親父のPuerto Viejo

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