はじめまして、ysといいます。ひょんなきっかけからこのサイト「旅人文化」に寄稿することになりました。外国(アメリカ)に5年ほど滞在していた経験から、「旅人文化」について何か言えることや書けることもあるかもしれないという考えで書くことを決めました。

旅の意義とは?

前回は「旅」という言葉の定義、語源から旅というものを考えてみました。今回は、その「旅」することの意義や価値といったものについて考えてみたいと思います。私たち平均的な現代の日本人は、旅という行為に一体どういう意義を見出そうとしているのでしょうか?インターネットで探してみると、いろんな意見が見つかりました。以下は例です:

・ 好きなことをするのに理由はいらない、行きたいから行く、それで十分。
・ 写真や絵、文章で見たり読んだりして憧れていた場所に、自分の足で立つことができる喜び。
・ ルーチン化された日常の中で、不必要になり眠ってしまった自分の感性を目覚めさせる刺激を得ることができる。
・ 知らないものを知りたい、見たことのないものを見たい。日本になくて外国にしかないものを自分の五官で確かめたい。
・ 未知の国への憧れ。
・ 自分を試し、成長させるため。
・ 日本の外へ自分の身を置くことで、日本のことや自分自身のことがよりよく分かるようになる。日本の素晴らしいところ、外国から学んだり取り入れたりした方がいいかもしれないことなどがよく見えるようになる。
・ 自分探し
・ 一箇所に留まったままだと視野が狭くなる。旅することでそれまでとは違う観点や発想でものが考えられるようになる。

他にもいろいろありましたが、これらの例からどんな傾向が見えてくるでしょうか?大きく分けて、

1、 未知のもの、身近にはないものに出会う経験から何かを学び、それが自分の成長に繋がる。
2、 純粋に好きだから、楽しいから。

の2つに大別されるような気がします。上記のいずれの意見も、全てこの2つのある比率での混合と言えるのではないでしょうか。いずれにしても、本質的には「自分のため」にすることであることが見えてきます。前回も少し触れたことですが、やはり私たち現代の日本人の多くが考える、もしくはイメージする「旅」というものは、「義務、仕事」といった生産側に属するものではなく「娯楽、体験、学習」といった消費側に属する行為になっているようです。
そう考えると、いわゆる「旅」を他の娯楽や勉強、例えば音楽を聴いたり、小説を読んだり、遊園地に行ったり、スポーツをしたり、習い事やお稽古事をしたりするのと特に区別する必然性がなくなるような気がします。

しかし、そうは言っても、少なくとも「旅」をしている間は、生活の全てが旅なわけですから、夜寝る前の2時間だけ小説を読んだり、週に2回お花を習うというのと同列に扱うのはやはり無理がありそうです。

「旅」という行為はそういう意味ではかなり特殊な行為と言えるかもしれません。娯楽であると同時に、(旅の間は)それが生活全てである、生きることそのものになっている、この二重性は「旅」という行為に特有なもので、このことが他の娯楽だとか習い事だとかと「旅」を区別しているのではないかと思います。

旅の旅たる所以は、ひとえにそれがいつか必ず終わりを迎え、いずれ帰るべきところに帰っていく、そして元の「本当の」生活に戻っていき、そこではまるで別世界のことのように思い出されるだけに留まる、ということにあるのかもしれません。

だから、たとえば、生まれてから死ぬまで「旅」を続ける、旅することが生きて死んでいくことそのものであるロマのような人たちにとって、きっと旅は旅とは認識されないに違いありません。

私たちにとってロマたちの「旅」に当たるものは、この日常の、おそらく大半はありきたりで退屈な、生活になるのだと思います。私たちにとっての「旅」は必ず終わり、元の日常に取って代わられ、いずれ過去のものとなってしまう、でもそうでありながら確実に元の日常に何らかの変化をもたらす、別にそれを目的に旅するわけではないにせよ、結果としてそうなることが往々にしてある、そう考えると、確かに「旅」は結局はただの非日常な行為に過ぎなくても、退屈な日常を生きていく上で意義深い行為となりうるかもしれないな、という気がします。

up date: 2008/08/06

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