たの子の旅の話

ところで、運ちゃんはどうやらハシシを吸っているらしかった。乗車する時に、あの独特の、説明は難しいのだが、確かに香りがしたのだ。おそらく1人で夜通し走るのだろうから気分転換というか、疲労を紛らすためというか、まあそういうものも必要なのだろう。パキスタンでは大麻が比較的容易に手に入り、社会的にもある程度容認されているフシがあって、だからドライバーがハシシを吸っているからといって別段気にすることもなく、僕は寛容な態度をよそおったのだが、でもやはり不安である。

大麻というのは一般的にアッパー(興奮)にもダウナー(抑制)にも働くといわれており、運ちゃんがアッパーになってアクセルを目いっぱい踏み込んでも困るし、ダウナーに陥って人生に絶望して死へのダイブの道連れになるのも迷惑な話である。

実は僕自身、イスラム教によって酒が禁じられているこの国を旅する間、飲めない代わりにハシシにお世話になっていたので、運ちゃんにエラソーなことは言えないのだった。モノは宿のオヤジが売ってくれることもあれば、毎晩タダでふるまってくれる豪気な宿もあった。アフガニスタンとの国境に近いペシャワールでは、上物といわれるアフガン産が手に入ると聞きつけ、土産物屋の怪しげな2階の小部屋で入手し、グフフフフなるほどさすがに違うななどと、安宿で呆けた日々を過ごした。違いなど実際はよくわからないのだが。

11時を過ぎたころだろうか、ボリュームいっぱいと思えるほどのやはり暴力的なまでの大音量で流れていた、わけのわからないポップスがやみ、車内は静かに眠りの時に移った。運ちゃんはいい具合いにキマッているのか、バスは快調にガンガン飛ばしている。座席は窮屈ではあるが、エアコンが効いてそれなりに快適で、僕は昼間の疲れもあっていつのまにか眠りに落ちた。

女性の悲鳴のようなものが聞こえたのは、何時ごろだったか。バスの後方右の窓側に座っていた僕は、前の方から聞こえたその大きな声で目が覚めた。何だろう、寝ぼけまなこで、ふと窓の外に目をやると、バスが大きく右側に傾いていた。つまり自分の側にだ。地面がもうすぐそこに迫っている。「アッ」、と声を発したのか、それとも心の叫びだったのかはっきりしないが、とにかくそれが車中での最後の記憶となった。

たの子
ライター
1969年京都生まれ、宮崎育ち。男。
学生時代からアジアを中心に海外をブラブラし、
人生もブラついたままとりあえず酒を飲む毎日。

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