青年海外協力隊員として、80年代の後半に中米へ赴任した 「世界が君を待っている」の旅行記でおなじみのトシリン。 彼の旅のきっかけから、憧れの協力隊への道のり、そして旅へと続くお話の新連載です。

旅の初めはカリブから

旅立ちは列車で

海外で仕事について、まだ右も左も言葉も判らない頃、 初めて友人と3人で旅をしたのが中米はコスタリカのカリブ海沿岸への旅でした。

青年海外協力隊員として現地に赴任してわずか1〜2週間、 職場への配属もまだ終わらない頃のお話です。

日本で3ヶ月、メキシコで2ヶ月ほどスペイン語の語学研修を受けて来ましたが、 はっきり言って不自由なく暮らすまでには程遠い状態で、まず相手が何言ってるんだかさっぱり解らない。 こちらが言ってる事は解って貰えますが、 難しい事を表現するボキャブラリーが無い。

と言う訳で、とてもシンプルな3歳児ぐらいのボキャブラリーで旅をした珍道中となりました。

コスタリカに赴任したのが、1986年の2月1日。 このあと中米ではセマナ・サンタ(Semana Santa)と言うお休みがやって来ます。 セマナ・サンタと言うのはイースター(復活祭)の事で、 春分後の最初の満月の次の日曜日にキリストが復活したという言い伝えから、 その復活した日曜日を最終日とする1週間がお休みになるのです。  色々な宗教行事も行われるのですが、 年に一度の連休、ゴールデンウィークとして皆楽しみにしている訳です。

配属先も休みだしまだ現地の友人も出来てない頃だったので、 同期の友人ケロちゃん(柔道の先生)とオツボネ(体操の先生)と3人でどうせなら冒険に出ようと言う事になり、 「とりあえずカリブ海が見たい!」と東の方へ山を下りて行く事にしました。

行く先を大まかにしか決めずにする旅立ちは、 旅にウブだった僕にはドキドキだった。 未知のものに触れる感じが病み付きになり、以後20年旅ばかりの暮らしだった。 でも本当の意味で旅らしい旅を出来たのはあの頃が最後だったかも。

コスタリカと言うのは南米と北米の間を橋のように細く長く繋ぐ回廊地帯にあり、 広さは九州ぐらいしかない小さな国です。 ほぼ国の真ん中標高1000mぐらいのところに中央高地があり、 その中心に首都のサンホセ(San Jose)があります。

首都と言っても小さいんです。 慣れてからはこれはこれで良いものかもと思いましたが、 着任当初は相当がっくり来てました。 メキシコシティと比べて凄まじく小さい。 東西2km、南北1kmぐらいの範囲に全ての都市機能が入っている訳です。 後々仕事で海外を結構廻るようになって気付きましたが、東京と言うのは世界でも稀に見る大都市なんですね。

自分が非常に特殊な恵まれた環境で育った事を気が付く機会ってそう無いもんだと思いますが、 日本人にはそれが必要なんではないかな。 恵まれているにも関わらず幸福感の無い社会と言うのは、それはそれで不幸な事ですね。

で何の話かと言うと首都がちっちゃいって言う事で、 首都周辺の中央高地は周辺都市を含めると当時約150万人の人口があり、 コスタリカ全人口の半分が集中していたのですが、それでも1200万人の東京の10分の1程度。 しかしながらサンホセの町は小柄ながらも良くできた町で、東西南北に碁盤の目のように道が付けられた、 分かりやすい町です。

コカコーラのバス停

バスターミナルは「コカコーラ」と呼ばれる西の端に在ってコスタリカ各地に向かってバスが出ていて、 このバスがコスタリカの主要な交通機関なのですが、 時間は3倍以上かかるが楽しいらしいと聞いた鉄道でカリブに向かうことにしまた。 カリブに向かうレトロな駅には電気機関車を先頭に貨車、客車を連結した長い編成で、 サンホセ駅を「よっこらせっ」という感じで出発しまた。

サンホセ駅

が。。。。めちゃくちゃ遅い!さすがに歩くよりは早いが、走ったら絶対に追いつく。 ホントにこれで着くのか、カリブに。 予定も無いし休みは長いから焦りはしなかったけど、 ついこの間まで日本しか知らない日本人だったので、かなりカルチャーショック。 「いいのかこれで?」。。。「たぶんいいんだろうな。。。」と納得しておきました。 ゴンゴロゴンゴロしばし走りますと、隣町のカルタゴです。 コスタリカは首都のサンホセ以外はすべて田舎町です、 駅も千葉県で言えば夷隅郡長者町駅という感じです。

さて、カルタゴを過ぎてしばらく過ぎた頃、 列車が相も変わらずゴンゴロゴンゴロ走っているので、 最後尾の客車のデッキに出てのろのろ移り行く景色を見ていました。 そうすると原っぱの向こうで子供が手を振っている。 ちょっと感激してこちらも手を振り返すと、子供達が列車に向かって走って来るじゃないですか。 なんせ歩くよりはなんぼか速いというぐらいのスピードですから結構追いつくんですね。

「ああ、これぞ国際交流、すばらしいー。」なんて思ってると、走り寄って来た子供が、 ニコニコ笑いながら、僕の首から下げたカメラをガシっと掴み、Tシャツごと引きちぎりやがったのです。 笑いながら手を振りつつ逃げて行く子供達を見ながら、なぜだか僕らもしばらくバカみたいに笑い転げていました。 そう言う事が起きるシチュエーションにエキサイトしていたのでしょうね。 そう言う非日常的な経験をする場所に置かれて居ることが嬉しかった。

コスタリカの列車

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