はじめまして、ysといいます。ひょんなきっかけからこのサイト「旅人文化」に寄稿することになりました。外国(アメリカ)に5年ほど滞在していた経験から、「旅人文化」について何か言えることや書けることもあるかもしれないという考えで書くことを決めました。

あるゲストハウスにて

私は現在、あるゲストハウスに住んでいます。ここでの滞在期間中、世界中のいろんな国からいろんな人たちがやってきて、そして去って行きました。

目的はさまざまでした。日本の音楽、芸能、ファッションなどのポップカルチャーに興味があってやってきた人、ゲストハウス生活が純粋に好きで来た人、日本に住んでいる友達を訪ねて来た人、合気道を極めるために本場の日本まで修業に来た人、地方から職を求めて、または夢を追いかけて上京してきた人…。

まだいる人もいれば、もう去った人もいます。ものすごく癖だとかアクだとかが強い人たちがたくさんいて、私はそのうちの何人かとお酒を飲みながら楽しく語らったり、一緒に遊びに出掛けたり、また喧嘩して仲直りしたりしました。ゲストの一人が言いました:「ここはブラックホールだ」。おそらく「吹き溜まり」くらいの意味で言ったのでしょう。それを言う彼の口ぶりが、他人事ではなく半ば自虐的にも聞こえたのが面白いと思いました。

その中で私がなぜか今でも心に引っ掛かっている人が一人います。彼女はスペインから合気道を極めるためにはるばる日本までやってきた中年の女性でした。彼女は格闘技をやっているだけあって見るからに強気で、実際押し出しが強くて騒がしいくらい賑やか陽気に見える人でした。

私はそんな彼女と一度大喧嘩してしまったのです。きっかけは本当に些細なことでした。

ある日のこと、彼女がコモンルームで部屋を暗くしてテレビで映画を観ているときに、私が入ってきて自分のラップトップを立ち上げて部屋の電気を付けました。すると彼女は突然ものすごい勢いで怒鳴り始めて、私はとても驚きました。私もその一方的な言い方に腹が立って、いろいろ言い返しました。そしてお互いに結構きついこと言い合って最後には彼女が出口のドアをバタン!と叩きつけるようにしてコモンルームから出て行くことでその喧嘩は終わりました。

そのときは「やっぱここはブラックホールだな、ろくな奴いねえよな」と心の中で悪態をついたものですが、私の方にも問題がないわけじゃなかったのかな、と思います。例えば、電気を付けるときに一言断わる、などのちょっとした配慮で避けられたことなのかな、とも思います。

もしかしたら、それまでの普段の私の彼女に接する態度に、どこか軽く見ているような雰囲気が滲んでいるのを彼女の方で敏感に感じ取って、その不満がそのときに爆発してしまった、ということがあったのかもしれません。実際、上に書いた悪態のつき方にそういうのが滲み出ているな、と自分でも感じざるを得ません。人のこと言えるのか、とも思います。

これからどうなるのか、とそのときは心配でしたが、次の日からは何事もなかったように彼女に接しました。私は苦手なスマイルを浮かべながら彼女に挨拶しました。すると彼女もそうしてくれました。

二日くらいはお互いぎこちなかったのですが、三日目くらいから自然になりました。彼女は私に親切な気遣いをするようになりました。ちょっとした言葉や動作にそういうのを感じ取ることができました。おそらく私の方も彼女にそう振舞うようになっていたと思います。

彼女はお金が払えなくなって結局このゲストハウスを出て行かざるを得なくなったわけですが、その後もどこか別のところに寝泊りしていたようです。

彼女はゲストハウスを去った後も、よくコモンルームにやってきて、ゲストのみんなとビールやワインを飲みながら談笑していました。一度人が多くて彼女がずっと立っていたとき、私が中座する際に ”Have this seat, I’m leaving, so…” と言いながら彼女に席を譲ったときの、彼女の控え目だけど本当に嬉しそうな、そしてちょっと寂しそうな笑顔が今でも忘れられません。

しかし、もはやゲストでもない人がコモンルームに入り浸るのは、褒められたことではありませんでした。やがて彼女は姿を現さなくなってしまいました。

それからしばらくして、彼女がある深夜に警察にこのゲストハウスまで連れて来られたことをあるゲストから聞きました。新宿のある公園で野宿していたところを保護されたそうです。日本国内に他に身寄りがなくてこのゲストハウスを連絡先に指定したのでしょう。それを聞いたとき、みんなで馬鹿騒ぎしている間にも、いつも彼女の笑顔に差していた翳り、寂しさのようなものの理由が分かったような気がしました。

やがて彼女とは全く連絡さえもつかなくなってしまいました。携帯電話で何度呼び出しても決して返信が来ることはありませんでした。おそらく故郷に強制送還されてしまったのだろうと思います。

それから数週間が経ちました。彼女のことが話題になることもなくなりました。その後もこのゲストハウスには多くの人たちがやって来ました。もちろん彼らは彼女のことを知りません。彼らはこのゲストハウス内外での交流、そして日本の文化、日本という国をそれぞれのやり方で満喫した後、足跡すら残さずに去って行きました。

彼女の荷物はいまだ置き去りにされたままここにあります。いずれ廃棄処分される運命にあるのでしょう。私もいずれこのゲストハウスを去る時が来るでしょう。そのとき彼女の足跡は本当に跡形もなく消え去ってしまうのだと思います。

でも、それでも彼女は故郷で元気に生き続けるだろうし、私の記憶にも長くとどまることになるのだろうと思います。できればそうあって欲しいと心から願っています。

up date: 2008/09/02

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