はじめまして、ysといいます。ひょんなきっかけからこのサイト「旅人文化」に寄稿することになりました。外国(アメリカ)に5年ほど滞在していた経験から、「旅人文化」について何か言えることや書けることもあるかもしれないという考えで書くことを決めました。

初めての海外

私は2003年の夏に成田発のユナイテッド航空便でアメリカへと渡りました。それが私の初めての海外経験でした。日記を付けていたわけではないので細かいことは全て忘れてしまったけれど、何でもないような、ちょっとしたエピソードが今でも記憶に残っていたりします。

日本を発つことになったその日、私は自宅から幾つかの乗換えを経てJR山手線の上野駅で降り、そこから大きなスーツケースをごろごろ転がして京成上野駅まで歩いて行き、その構内でスカイライナーのチケットを買ったのですが、そのとき初めて自分のペースが時間ぎりぎりであることに気がつきました。成田までの道のりを過小評価していたのです。

「うわ、やっべー」とか若者言葉まるだしで慌ててチケットを買い、さらに何を思ったか、よせばいいのに持っていた少なくない日本円の現金を、駅構内にあった両替所でみんなトラベラーズチェックに換えようとしました。

こちらはとても焦っていて、担当の人をやたらと急かせてしまいました。そのときの担当は若い女性と初老の男性の二人だったと記憶していますが、こっちの慌てぶりが二人に見事に伝染してしまっていて、手続きをする動作がたぶん普段の1.5~2倍速くらいになっていました。女性の方は焦るあまり、挙句に機械から打ち出したレシートか何かの紙を切り取り線を無視してビリッと汚く破ってしまいました。そして私に対してそのことを謝ったわけですが、それを見て私は自分の方こそ申し訳ない気持ちになったのを今でも憶えています。

それでも何とか成田空港の第一ターミナルまでたどり着き、チェックインには間に合いました。荷物検査の時、スーツケースを全部開けた後、若い女性職員が中の荷物を全部手探りで検査していたのには少し驚きました。アメリカ同時多発テロの余韻がいまだ色濃く残っていた頃のことです。

荷物の重量検査ももちろんありました。制服姿の愛想のいいおじさんが私の荷物を両手でひょいと抱え挙げ、「あ、これは大丈夫、10キロくらいだよ」と言って、秤に載せたら本当にそのくらいだったので驚いたのを憶えています。

京成上野駅ではやたらと焦りましたが、結局事なきを得て、無事に機上の人となることができました。日本の国土を離れるまでにこうやってすれ違った人たちについては、わずかながらも記憶が残っているのに、いざ国土を離れようという時に自分がどんな感慨に浸ったのかはまるで思い出せません。何も感じなかったのか、それとも何かを感じたけれど忘れ去ってしまったのか、それすらも今となっては分かりません。自分ひとりが心の中で想うことは、絶え間なく移ろい現れては消えていくもの、その一方で、こういう人と出会った、こういうことがあった、という経験や事実は時が経っても決して揺るがないもの、そんな差があるからなのかもしれません。

マリリンコメント:私も始めての海外、そして飛行機に乗ったときのことは、もう10年以上前のことですが、結構いろいろ覚えています。その後、何度も飛行機に乗って移動していますが、一番初めの旅の始まりと言いますか、そのときの移動については、何か心に焼き付いていてとても不思議な感じです思い出します。

ソウルでの飛行機の乗り換えのときに、多くの日本人団体客が日本行きの飛行機を待っているのに、私ひとりはシドニー行きを待っていて、なんだかちょっと寂しいようなうれしいような感じがしたこと。そこで流れていたテレビの映像が、韓国の軍隊の映像で、なにやら物々しい感じでああ外国に来てるんだな、と感慨深く思ったこと。それから、飛行機から見た日の出の幻想的な風景にとにかく感動したことなど。

そしていろいろ思い出してみると、みぞおちよりもちょっと上の奥のほうがくすぐったい感じがしてきます。

up date: 2008/08/20

Home